12月末までの活動予定♪
最近の活動予定①:光都遊び&パパママ支援
今年の夏から兵庫県の播磨科学公園都市・光都という場所に週1回程度、子供達と一緒に遊びに行っています。
光都で行われたご当地ヒーローショーに参加。ヒーローにムニされる我が子。
光都は非常に閑静な地域で、ひょうご環境体験館やふれあいスポーツ交流館といった施設や、ダムの下の水辺公園など広い公園が周辺に隠れるようにして点在している面白いエリアです。
もっとこのエリアは面白い遊びができるし、より魅力的なエリアになるような気がしたので、写真を撮りながら遊び方、過ごし方を提案&情報発信をしています。
ピーター・ウォーカーなどの高名なランドスケープデザイナーが集って計画したそうですが、、何がいいって、都市づくりのコンセプトが素敵ですよね。
『時間とともに成長する森の中の都市』
通うようになって2ヶ月ぐらいしてからこのコンセプトを知ったんですけど、
森の中の都市の成長見たい!!!
っていうかちょっとでも成長に関わりたい!!!!
っていう気持ちがむくむく湧いてきましたわ…。
コミュニティースペースを改装に関わるワークショップにも参加させてもらい、このエリアの資源を使いながら遊びつつ、パパママ支援も行えたらいいなと考えるようになってきたので、11月末からとりあえず動いてみることにしました。
⑴11月29日(木)
改装したコミュニティースペース「cotohana」にて友人家族数組さんと「父力UP講座&お母さん1日フリータイム捻出のための光都遊び企画会議」を行ってきます♪
⑵12月1日(土)
映画館を貸し切って使ってみたら面白そうという欲望に突き動かされて、衝動的に企画したファミリーシェアシアターを行います♪
最近の活動予定②:かなりや生活調律店 鳥取出店
鳥取市の素敵なフランス雑貨屋さんchouchouさん企画!鳥取大丸でのイベント
Happy Holiday〜クリスマス編 chouchou in鳥取大丸 vol.3
に参加します!
ENMAカードを使った1対1のセッションはもちろん、パートナーとご一緒に共通のテーマ(子育てや働き方など)についてお互いの声を聴いて頂き、今後について共に考えるきっかけにするセッションも行います♪
販売品はあったかいぬか袋などをご用意しようかな。少しずつハンドメイドで作って店頭に置かせてもらいますね。
そしてご覧の通りの素敵な出店者様方…ぜひお立ち寄りください。
〜セッションについてはこちら〜
【一手間おもちゃ】マグフォーマー+布
我が子が持っている「サンタ」の情報。
⑴「クリスマス」という日に親が「こんなの買えない!」とはねつける高価なおもちゃを一つだけプレゼントしてくれるらしい。
⑵うちの親と連絡をとっているらしい。
⑶昼間は仕事で忙しく、夜子供が寝た後にしか連絡がとれないらしい。
この3点。
信仰も伝承もほとんど情報として伝えていないから、
娘の中では「すごいお金持ちで気前のいい、プレゼントするのが大好きなおじさん」
がサンタだった。
しかし、最近つい余計な4点目の情報を入れてしまった。
⑷サンタは「いい子」にしている子にだけプレゼントをくれるらしい。
これを聞いた時の「え、なんで?」という娘の怪訝な表情はちょっと忘れることができない。
子供なら誰にでもプレゼントをくれる超優しい平等主義なおじさんだったサンタが、突然「いい子のみ」という不明確な選別基準を持つ、親のご機嫌を伺っておかないとプレゼントをくれない自分軸ブレブレおじさんに変わってしまったのだ。
最近は親の僕らが買い与えたいプレゼントをサンタに頼むよう仕向けるある種の洗脳活動も頻繁であったから、尚のことサンタに不信感を抱いてしまったようだ。
サンタ観を構築するのって難しい…。
閑話休題。
今日はおもちゃに小細工したら、遊びが広がったので、その紹介を。
そのおもちゃとはこちら。
マグフォーマー。
マグフォーマー 62ピース MAGFORMERS 新感覚のマグネットブロック 創造力を育てる知育玩具 [並行輸入品]
- 出版社/メーカー: MAGFORMERS LLC.
- メディア: おもちゃ&ホビー
- この商品を含むブログを見る
磁石の入った正三角形・正方形・正五角形のピースをくっつけていくことで、
平面や立体の造形物が作れる知育玩具である。
娘が1歳代の頃、祖父母から贈られて以来アンパンマンブロックと並行してずっと遊ばれてきた優秀なおもちゃだ。
こやつのピースの特徴は「穴が空いている構造」である。だからこそ持ちやすく、中も見やすく面白い。しかし弱点もそこにあって「面がないから小さい人形を乗せられない。」のだ。
端的に言えば、メロンパンナちゃんが乗らない。
この「面」を作れれば相当遊びは広がるのに…と常々思ってきて、ようやく最近ある工夫を思いついた。
「布をかぶせてしまえ。」
というわけで作ってみた。
袋状にしてから、ピースを詰めて、端を縫い付ける。
針を折りたくないので手回しでゆっくり進行。
雑だけど、おもちゃとして機能すればそれでよし!
ちょっとはみ出しているけど、くっついた!乗った!
二階部分に座らせられた!!!強度も十分!
実験成功!!
早速子供達も活用。
二つ四角のピースを入れて布で包んでしまえば、滑り台のような役割もできるかも?まだまだちょっといじる余地がありそう。
そんなに手間もかからないし、この一工夫はオススメです✨
遊び尽くした感があっても、こういう刺激が一つ入るとまた遊びが拡がっていくのがおもちゃの面白いところですね。
若山牧水とフライドポテトとネアンデルタール人。
白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ
半年間余り、主夫として地域の子育てサークルや支援施設、色んな所に子供を連れて行き続けてきた。
しかしッッ!!
ついに孤独感に耐え切れず、車の中で泣いてしまうという言語道断の失態!!
あまつさえ泣いてる父の姿を見かねた娘に
「お父さん、あそこでポテト食べよ…?」ともちかけられ、
マックのドライブスルーで涙を拭いながマックのポテトLとスプライトM、オレンジジュースSと爽健美茶Sを購入し、
店員さんの「何があったのかわからないけど、これを食べて元気だしなさい」という気持ちのこもった超ド級のスマイルを頂き、
「さ、お父さんも食べ?」と娘に言われるという…
いやぁ、やらかしましたね。限界でした。
なんで泣いてんの?という疑問。
きっかけは地域の幼児向け親子体操サークル(月1)。
10時開始の所を行きのバタバタでいつものごとく時間ギリギリ到着。
いつもの体育館に行くと、誰もいない。
あれ、場所が横の支援施設かなと思いいくも、誰もいない。
ネットにはこの情報はアップされないので、事務所に行ってみるも、誰もいない。
同じサークルに入っているお友達に連絡するも、活動中で当然返信はない。
施設を出るときにガラス戸に気づかず頭をぶつける。
なんだこのやろうガラス戸!!!!!
一瞬でぶち破りそうな衝動がわくも、なんとか抑える。
だって別にガラス戸は悪くない。
しばらく体育館の前で佇む。
あてもなく、車を走らせる。
気がついたら泣いてた。
本当になんてことないこと。
サークルの年間計画表にはきっちり活動場所が今月違うことは書いてあった。
単なる確認ミスだし、ネットに情報が載らないのはわかってることだし、先月は曜日が土曜日開催で予定がかぶって休んでたし、主催者側には何の落ち度もない。
けど、あの瞬間には「何か」が凝縮されていた。
自分の主夫としての「スケジュール管理力」と「コミュニケーション&ネットワーク構築力」の低さ、
半年間ためてきた「ママたちの中に入れてなさ」「勝手に感じてる疎外感」
「子供への申し訳なさ」。
そんな諸々。
時間すら守れてねーだろ!
おめーはそもそも来ちゃダメなんだよ!
何ノコノコ母親サークルとか来てんだ。場違いなんだよ帰れ!
と言われたような気になって(え)、
でも、行くあてが思いうかばず
だからてめーが来ていい所はねーんだよ!
と言われている気がして(誰に)、
なんという被害妄想。
そうして泣きました。
アホか…。
染まれない。
いやもう、ほんと自分でもびっくりでした。
なんか半年あまり、思ってたより勝手に孤独感をためてたみたいで。
んで、泣いているときにふと思い出したのが冒頭の若山牧水さんの有名な短歌でした。
俺主夫や 働くfather 子育てmother 馴染めねぇ
という思いを冒頭の名歌に見出すという…。
短歌を冒涜しとんのか。怒られるぞ。
子育て支援の場は、基本的に母親支援の場だから男性はいない。
みんなお母さん達も支援施設の人たちも暖かいし基本的にすごくオープン。
でも、なんか俺違う…という異質感がどうしても抜けなくて、後半から自分でどこか壁を作ってしまうようになってきていて。
なんだろう。
例えば俺がネアンデルタール人だとすると
「え、これホモサピエンス向け施設?え、みんなホモサピエンス?俺ネアンだけど…いい?あ、みんな優しい!あ、でも俺ネアン…。」みたいな…。
…。
みたいなじゃねぇよ!
なんか今日はほんとすいません。
あ、そうそう。
ちょっと孔子の像が欲しくて。
で、紅葉。すごい綺麗だった。
でもね、、、
俺主夫や あっちはgrandpa こっちはgrandma 馴染めねぇ。
…。
だから短歌を冒涜(以下略)。
失礼しました。
トランポリンには別の使い道があった件。
半年間の3歳児&1歳児との共同生活を経る中で、
「これ、結構よかったなぁ。」と重宝するものがいくつかあった。
今回はその一つをご紹介。
それが、「トランポリン」である。
僕が「これ良い!!」と思うものの基本条件は、
「シンプル」「多用途に使える」「遊びが広がる」なのだが、トランポリンはバッチリこの条件を満たしていた。
第一の用途として、子供の遊具として優秀であるのは言うまでもない。
子供が室内で飛び回ってエネルギーを発散してくれるというのは、当然良いのだ。
いきなり「さぁみんなー!元気〜〜〜〜〜〜〜?!」
などと子供がゲリラライブを開催、全然こちらは元気じゃなくて、早く風呂に入って眠たくってげんなりするときもあるが、
「げんきーーー。」
と手を弱々しくも突き上げて返しておけば、ご満悦になってエネルギーを消費してくださる。
デメリットは「場所を占有してしまう」だったが…
意外に気にならない。それは、このトランポリンに別の用途があることに気づき、自然と使用しはじめたからである。
それは、
プレイテーブルとしての活用である。
大人も子供も座って遊ぶのにちょうどいい高さ。
表面がツルツルして滑りやすく、おはじきなんかも相性が良い。
うちには自作のプレイテーブルがすでに一つあるが、
二人で遊ぶと、弟が姉の作品を壊し、姉が弟を追放する場合もある。
するとこちらへ移動する。乗って遊べる安心感。
まぁ、姉が「それ私が遊ぶの!」などとおもちゃめがけてトランポリンに侵略をかけてくることもあり、結局阿鼻叫喚で親介入で終わることもザラではあるが…
まぁ別れて遊べるのもいい。
そして隠れた三つ目の用途は…
寝っ転がれる。
親が。
育児に、生活に疲れ切ったとき、力尽きて畳に倒れ伏す。
するとどうだろう。
寒いし、痛いのだ。
フローリングでも畳でも。癒されない。受け止めてもらえている感がない。
しかし、トランポリンは違う。
彼は倒れ込む私を優しく、弾むように受けとめる。
「いつだって、君のことを受けとめるよ。」
そういって抱きとめられたような気分になる。(大丈夫か。)
仮眠するレベルではなく、5分程度、ただ転がりたいとき、
トランポリンはあなたを受けとめてくれるんですよ、奥さん!!!
というわけで、私たち家族はトランポリンが大好きです。
自分のやりたいことと夫婦時間の関係。
前々回こんな記事を書いた。
あれから一ヶ月あまり。
最近全く踊っていない。
まずい。
今Wiiを起動すれば、すかさずウィーボが
「やすゆきさん、久しぶりデスね!31日ぶりデスね!」
などという嫌味をかましてくること受け合いだ。
『ち、違うんだウィーボ…これには訳が…。』
「言い訳はいいので、エクササイズをはじめまショウ!」
『い、いや、今日はブログを…』
「言い訳はいいので、エクササイズをはじめまショウ!」
『だまれウィーボ!今日俺はブログを書くんだよ!!』
…というわけで、今日は「自分のやりたいこと」と夫婦の関係についてです。
子育て中「やりたいこと」は増える一方で、夫婦の時間は減る。減らしていく方向に心が動いてしまう。
ざっくり言うと、これが結論です。
家事育児を中心的に担うようになって半年。
子どもを色んな所に連れて行くようになって気づいた子育てのメリットとして、
⑴子どもと共にもう一度再体験できる。
⑵子どもと共に新しい世界に出会うことができる。
⑶バイタリティー溢れるお母様方との出会いで、刺激を受ける。
といったことがあると知った。
これが面白い。
思えば、基本的に高校以降は自分の生きていく方向を定めて、専門分野の知識や経験を深めていく、言って見れば「生きる幅や範囲を限定していく期間」だった。
しかし、子育てというのは、子どもの可能性や体験の幅を広げるために、色んなことをする。
経験の中で自分が全くしてこなかったことや、しなくなったことを経験させてくれる。
例えばこれ。
ピアニカ。
小学校では楽器の扱いが下手で下手で。
リコーダーはドの音が出せないし、指は両手同じ動きしか出来ないし…一生楽器なんて触らないと思っていた。
けど、遊びにいったプレーパークでお母さん達がピアニカを吹いていて、子どもが欲しがったから買ってみて、一緒に触ったり音を出していると…
ちゃんとしなきゃという気負いが無いせいなのか、
とりあえずチューブを振り回している子どもという比較対象のせいでハードルが極端に下がっているせいなのか…
楽しいし、なんか意外と出来てる気がする!!!
少なくと3歳の子どもより出来てる!!!
そんなこんなで自分も「大人のピアニカ」を買って、三人で芝生の広場で吹きに行く。
昔ハマった映画『耳をすませば』のカントリーロードを思い出しながら、一音一音記憶を探しながら吹こうとしてみる。少しだけ和音を入れてみる。
一歩一歩の進歩が楽しい。
何これ、もっとやりたい!!!
と、親の方がよっぽど興味を持ってしまうことが高頻度で、ある。
しかも、保護者側の「やりたい!」は子ども優先の状況では「やりたいけど十分にはできない!」となり、制限・抑圧されるため、結構強烈な衝動が心の内側に溜まってくる。
これが発露されると、強力な行動力となって深夜現れる。
例えば僕で言えば、最もハマったのは「足踏みミシン」である。
夜な夜な布を裁断し、糸と布をいじくり回す。
何も計画せずに、とりあえず衝動的に動かす。
そして、なんとはなしに
人形の服が作れるようになっている。
しかし、「自分のやりたいことが増える」のは、決してプラスにばかり働くとは限らない。
強烈な「ミシンが踏みたいいいいいいいいいいぁぁああああああ!!!」という欲求は、容易に「今日もエクササイズしまショウ!」というウィーボの誘いをあしらい、僕をミシンの前に連れて行こうとする。
ウィーボの誘いよりもミシンを優先するということは、とりもなおさず
夫婦の時間よりも自分の時間を優先するということである。
夫婦で観るドラマの時間よりも、一人でミシンを動かす時間の方が衝動的に大事になってくるというのだ。
これによって何が犠牲になるのか。
例えば、子どもを寝かしつけ終わった深夜の時間。
同じ医療ドラマを観て、
「俺、明日歯医者さんに『先生もインパクトファクター欲しいんですか?』って聞いてみようかな。」
「まぁ大学病院の話だから。っていうかドラマだから。」
などという他愛ない会話をしていたわけだ。
他愛はないが、同じものを観て、会話の種を仕込む実は時間でもある。
それがなくなる。
いや、いきなりなくなるわけではない。一緒にドラマを見たりは、やはりする。
けれど、どこかうわの空になる。
スナイプが挿入されるシーンを見ながら、
「あーーーー、ミシン針に糸を通してぇ。」
などという雑念が湧いてしまうわけである。
一緒にドラマを観ている人間は、鋭い。どこか集中できていないことには、気づく。
そしてそうした微妙なすれ違いが繰り返され、共時的話題が減っていくことにつながっていきかねない。
つまり、少し大げさに言うと「やりたい」という個人的欲求は、自分の世界に自己を没頭させるため、自分を家族から切り離そうとし、遠ざけようとし、一人にしていく傾向もあるということだ。
この記事の下書きを読んだ妻は、「まぁ私はそんなに気にしてないけどね」と言っていた。
けど、このことに気づかずに何も手を打たないでいると、
夫婦の間を結びつける夫婦の時間は減少し、それぞれの一人の時間が増加して、どこか疎遠になり、子育ての「イズム」のぶつかり合いでお互いの意見が割れるばかりで、ますます一人の時間が楽しくなり、いっそのことパートナーのことなどはっきり言ってどうでもよくなってくる…。
僕自身は夫婦にはそれぞれの価値観があり、相性や様々な出来事、転機もあるので夫婦関係を継続することが必ずしもベストだとは思っていない。
けれど、お互いが一緒に生きていこうという意志があったにも関わらず、いつの間にかその気力を互いになくしてしまうことは怖いことだと思う。
そして、この子育て中に膨れあがる「自分のやりたいこと」への衝動は、そうしたことにつながっていく危うさも孕んでいると、そんな気がするのだ。
だからこそ、自分のやりたいこと、夫婦で大切にしたいことや夫婦の時間でしたいこと、そして子どもを含めた家族でしたいこと、家族で担わなければならない家事やお金を稼ぐ生業のこと、そうしたことにはメンテナンス・チューニングが必要だ。
特に、家族が増えて考え方や生活リズムが激変する出産後の子育て期においては。
でも、それは当事者同士だけでは難しい。
自分と、パートナーと、家族や関わる人達と、調和で良いサイクルの維持するための相談をする場所、専門家。そうしたものが本当はもっと必要だ。
そうしたサービスを必要としている人達に自分という個人がどうアクセスして、どうサポートしていくか、それが課題。
『ウィーボ…だから俺にはやらなくちゃいけないことがあるんだ。』
「いいからエクササイズしまショウ!」
そうだな、ウィーボ。まずは自分の家庭から。
今日は一踊りしてから寝るとしようか。
恐るべきマイサン。
今、どうしても書かなきゃいけないものが、一つある。
それは…
まるで修行を終えたかのような息子の肉体美。
完全にドラゴンボールの登場人物である。
彼の好きなことは、
⑴水辺や岩場で活動すること。(脱ぐための伏線か。)
⑵濡れて服を脱ぐこと。(これは多分肉体を誇示したいのだと思う。)
⑶四足歩行、いわゆるハイハイ。(彼の上半身を徹底的にあげ、かつ彼の肉体の力を最大限発揮させるのが、この移動形態なのである。)
彼のこの鍛え上げられた上半身は、時に姉をも泣かす。
泣かすといっても、彼はケンカで乙女の顔を殴るような野蛮な真似はしない。
彼は心優しき男なのだ。
彼はただ…服の端をそっと掴むのだ。
するとどうしたことだろう。
「これはみーちゃんのお気にいりの服なんだからぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
といいながら、ものの数秒で姉が泣き出すではないか!!
恐らく、彼女は握られた瞬間にわかってしまったのだ。
『こいつの手は、決して離れない。こいつが手を離す時、それは私の服が破れた時だ…』と。
紳士なワンハンドグリップで姉を泣かす漢。
背中で語る、漢立ち。
彼の肉体は、私の誇りである。
不機嫌ベースの夫婦関係で大事な三つのこと。
先生…後編が、ずっと書けず…夏休みも終わり…今日になってしまいました。
でも…理由が…
「言い訳は後で言いなさい。」
すいません。
本題
不機嫌ベースの夫婦関係で大事な三つのことは、
①ユーモア
②共に踊ること
③スキンシップ
何故この三つか。
ちなみに過去記事はこちら↓
①ユーモア
これは常時不機嫌状態に陥っている時の「合図」のような役割をする。
なにせこの不機嫌野郎ときたら、常に半眼、妻の仕事帰りの「疲れた〜」をとらまえては、『は?絶対俺のほうが疲れてるし。』などと心中で毒づき始める状態なのである。
これではもはや論理的な意思疎通ははかれない。90%の確率で相手の発言意図を歪曲するからだ。
しかも厄介なのは、その状態が常態化しすぎて「自分は怒ってない」「通常運転である」と自分では認識しているというところだ。
この相手に「何怒ってるの?」「何か悪いことした?」などと発言すれば、
「は?別に怒ってないし。これが普通だけど?それとも人のこといつも不機嫌だとでもいうつもり?いい加減にしてほしいんだけど。」
などという高速デスボールが返ってくることは間違いない。
だからこそここでは通常言わないようなジョークを発する必要があるのだ。
例えば…
「おおっと、これはうっかり、申し訳ない。あまりにも君の顔がチャーミングすぎて、つい甘えてみたくなったのさ。この萎れた花のような僕に出来れば30秒ほどハグの水分補給をお願いしたいのだけど…だめかな?」
(ランダル・ピアソンはこんなセリフ喋っていません)
これだ。
できるだけ大げさに。顔も異様に変形しているぐらいがいい。
小粋なアメリカンジョークやユーモアをきかせた発言がうまくできず、ただキモいだけになってしまったとしても構わない。
これが悪循環につながる話線をズラし「私は争う気はない、仲良くしたいだけなんだ、ベイビー」という合図なのだと伝わればいいのだ。
これがうまくいけば、ちょっと攻撃的な言葉が止み、
「あいにくだけど、二人の抱っこの筋肉疲労であなたまで受け止める大胸筋の余力が残ってないの。さ、さっさと着替えてあなたを待ちわびてたチビっこ達を30秒ずつハグしてあげて。均等にね。」
「ラジャー。」
と、場の雰囲気を緩和でき、スムーズにつぎに移行できる。
注意点としては、夫婦で「お互い不機嫌ベース」であり、ちょっとしたことで激しやすいから「ユーモアやジョーク」でうまいことズラすことが大事だと認識が共有できていること。
この意識の共有なしに、このジョークをかました場合、致命的な怒りを招く恐れがある。
②共に踊ること
基本的に、家事育児に従事していると、抱っこなどの「姿勢を維持する」ような筋肉は使うが、ダンスのような激しい運動は行わない。慢性的な運動不足なのだ。
この運動不足、発散できていない肉体のくすぶりが、不機嫌を生み出す。
仕事をしているパートナーも、同様に運動不足であることが多い。
しかし、何かのスポーツをする時間はなかなか取れないし、ハードルも高い。
しかも技量差があったりすると、更なる苛立ちの元になる。
そこで活躍するのが、
Wii fitnessparty
これだ。
なんとこのソフトなら二人で、家で、子供が寝静まってから一緒にダンスを踊ることができる!!!
しかも、Wii fitプラスに登場する「ウィーボ」のように「おや?1805日ぶりですね?」などという嫌味をこのソフトに登場するトレーナー達は言ってこない。(はず)
彼らは僕らのようなダンス初心者のダサ坊にも、
「イエェーーーイ!レッツダンスィーング!」
「貴方の腰の動き、最高よぉぉーーーー!!」
などと小刻みに震えながら気分をアゲてくれるのだ。
そして気がつけば1時間以上二人で給水も忘れて踊り狂ってしまう。
そして驚いたことに…
踊っているうちに二人で笑いながら、結構気分爽快になっているではないか!!
しかもこの踊りには副次効果がある。
自分の身体を思いっきり動かし、かつ相手の躍動する身体を眺めていると…
③のスキンシップがとりたくなるのだ!!
だから、8月中僕はよく言っていた。
③スキンシップ
当たり前なのだけれど、やっぱり夫婦生活においてここが肝だと実感していた。
大事なことなので確認しておく。
このスキンシップは「手を握る」から「性交渉」まで含む。
日本ではどこか「性」について触れることを避け、隠すような風潮がある。
これは確かに繊細な話題でもありうるのだが、
夫婦においてセックスは超重要であり、決して隠すような恥ずかしい・やましいことではないと僕は考えている。(セックスレスは日本人の多くが抱えている悩みであり、支援が必要な内容だとも思っている。)
スキンシップは言葉を用いない、直接的なコミュニケーション手段である。
そして、パートナー同士においては、お互いのみで可能な「楽しみ」であり、互いを深く知って、二人で探求していく奥深い世界でもある。
普段不機嫌になってしまっている自分と相手が、「愛情が通いあっている」と実感できる瞬間、素直になれる瞬間がこのスキンシップの中にはある。
決してこの存在を軽視すべきではないと僕は思う。
①の項目にあったような、
完全に論理的な意思疎通がはかれない状態にあっても、
言葉を用いずに、スキンシップを習慣的に取るようになっていたら…
「火曜日はハグの日」
クタクタになって帰ってきた相手の表情、ハグの時にかかる重み、身体の感覚が、「ただ相手は疲れていること」を伝えてくれる。
当然、ハグなんてしたくない時もあるし、そんなうまくいかない、冷淡な、そっけない対応になる時もある。
それでも、ハグする。スキンシップを意識的にするのだ。
肉体的な拒絶は正直辛い。それでも、時には傷ついても、
「できれば今、君とハグしたいんだけど…いいかな。」
と言うのだ。
まとめ
今はお互い忙殺されて余裕が全くないけど、お互いが恐ろしく不機嫌だったりするけど、それはそれで仕方がない。
以前のこちらの記事にも書いたけれど、
夫婦関係にも巡り来る季節があり、冬だってある。
「日々の生活」というのはどれだけ愛し合った二人でも、笑顔を奪い去る状況をつくり得る。見慣れた不機嫌顏や、怯えた相手の顔に嫌気がさすことだってあるのだ。
お互いが今しんどい状況におかれているならば、その中で互いに笑顔を維持することは不可能に近い。
「その事実を認めてしまおう。」
というのが今の僕ら夫婦の認識だ。
当たり前に不機嫌だからこそ、
お互いの努力の末、なんとか作り出した「意思疎通の成功」「愛情の通いあう瞬間」は、いつも笑顔で幸せだった時とはまた違う喜びがある。
お互いを受け入れられないことも多いながらも、なんとか、
「今のあなたが好きです。今のあなたを愛しています。」
と伝えあうことが大事なのだというのが、今の結論だ。
ケンカを繰り返しながらも、互いの嫌いなことを知り、うまいことユーモアでズラす技術や、一緒に踊る習慣、スキンシップをとる習慣を身につけ、最終的に「ケンカしたけど仲がよくなった」夫婦を目指して、日々試行錯誤する。
パートナー同士の冷静な現状の認識と、パートナーシップを維持していくための共通認識が必要な…
なかなかタフでやりがいのあるミッションである。
ちなみに
なんでずっと、この後編が書けなかったかというと…この8月後半、
①も②も③も大事だと思いながらも、それを疎かにしてしまうほど「自分のやりたいこと」が膨らんでしまったこと、
そして、子育て生活の「ある苦しみ」がひどくなってきたことが関係している。
このあたりをまた分けて記事にしようと思います。
〜〜宣伝〜〜
カードを使ってご自身の心や生活のバランスを調律するセッション、鳥取大丸で10月13日(土)に出店させて頂く予定です。他にも素敵なお店が多数出店されます♪