ゼロチチ!〜0から父親になろう〜

2児の子育てに奔走する新米パパの家庭進出ブログです。

2018年版「男(父親)に出来ることって何だろう」

◆父力アップ講座の企画会議をしてきました。

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なぜか靴を脱ぐ人々…

 

この企画の目的は当初、

 

「お母さんの一人時間と、父と子供の時間を定期的に作れるようにする」

ということだった。

 

しかし、企画会議の中で実際友人から話を聴いてみると、「一人時間は勿論喉から手が出るほど欲しいけど、それは一番ではない。」という言葉がでてきた。

 

一番は「夫婦で話す時間が欲しい」だという。

 

子育て中は、保育園の入園や子供の発達具合、日々の行動など「自分以外の視点」を持つパートナーの意見が欲しいと常々思う。

 

それは、自分の行動の責任は自分でとれるが、子供への行動の決定の責任は自分では負えないという点によるものだ。

 

自分自身のことではないからこそ迷う。

 

そして、客観性を保つためにも別の人間の視点が欲しいし、共にこの一人では負えない決定の責任を共に持ってくれる人を求める。

 

しかし、現実には仕事に追われ、子供の細かな様子を見る時間もない。

 

自分以外の子供と一緒に遊んでいる場面を見て比較する経験もわずかで、手持ちの情報が少ないからこそ「知っているお母さんで決めてほしい」と思ったり、「また今度ね」と安易に先延ばししてしまうお父さんもいる。

 

だいたいにして「保育園どうする?」なんて重い話をするためには、軽め雑談を交わして、場がHOTにならないとできないのだが、HOTになる時間が持てない、、、というのが現実としてある。

 

そういうわけで「夫婦で話す時間」こそがほしいというわけだ。

 

 

ここに大事なポイントがあると思う。 

 

◆現代の多くの父親は頑張っている。

これは間違いない。

 

家事に育児にと参加しなくちゃいけないともわかっている。

 

しかし… 

 

⑴意識がない。やる気もない。だから情報もない。

⑵意識はあって、やる気もある。でも情報がないから何をしていいのかわからない。

⑶意識はあって、やる気もあって、情報もある。だけどうまくいかない。

⑷意識もやる気も情報もある。そしてうまく行っている。

 

父親の状態をざっくり段階分けして以下の4つに分けると… 

多くのメインで仕事を受け持つ父親は⑵と⑶の段階にある。

 

問題なのは、実際に参加していて、行動はしているが⑷に至らない、

 

「ズレちゃっている。」

 

ということなのだ。

 

 

例えば、こんなケース。

 

ある日曜日。

妻に一人時間を作ってやろうと、子供と外に遊びに行く。

 

雨の日に、カッパも着ずに。

 

すぐに帰ってくるだろうと思ったら、かれこれ一時間は帰ってこない。

もうお母さんは気が気じゃない。「風邪を引いたらどうするんだ」とか「何かあったんじゃないか」とか、心は思いで子供と旦那でいっぱいになり、もはや一人でいても一人時間などでは全然なくなっている。

 

そして、満面の笑みで帰ってくる子供と旦那に、ぶちギレる。

 

そこで面食らうのは旦那。妻を一人にして気を休ませようとしたのに、何故かブッチギレ状態になっている。雨の中頑張ったのに。

 

まぁ旦那の立場からしたら、もう意味わかんない。お手上げ状態。

 

 

このケースは⑵と⑶が混じっている。

 

⑵とも言える。妻が何を求めていて、子育てにおいて何を大事にしているのか、家庭生活を主で回す立場にある人にとって何が大事かという「情報」を知らないのだから。

 

⑶だとも言える。「父親は母親にできない体験を子供にさせてやってほしい」という意見があることを知っている。だから、雨を楽しむ体験をさせた。けど、うまくいかなかった。

 

それは目の前にいる妻の思い、そして妻と子供の日常の動きとズレていたからだ。

 

父親と母親の動きがつながっていないのだ。

 

この非連動性が「ズレている」というお互いの感覚であり、この「ズレ」を修正したくて「夫婦で話す時間が欲しい」と妻に思わせるのではないだろうか。

 

◆現代の父親には家庭生活における「柔軟さ」への認識が必要だ。

 実際に自分がメイン仕事&サブ家庭生活も、メイン家庭生活&サブ仕事の立場もしてみてた経験から書いたのが、以下の図である。

 

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さきほどの雨の日ずぶ濡れ事件を例にとろう。

 

家庭生活を軸になって回している身からすれば、子供の健康は第一である。体調を崩した時の対応がどれほど大変か、ずっと不機嫌な子供をケアし続けることがどれほど大変か。

 

はっきりいって絶対に避けたい。

 

基本的な軸をぶらすような行為はご免こうむりたいのだ。

 

例を変えると、子供の食べ過ぎを気にしている奥さんがいるとする。

お菓子となると、余計に止まらない。平日常に食事に細心の注意を払っている。

 

そこに「俺がしんべえと遊びに行くよ!」と旦那さんが言う。

息子さんはよく食べる。そして食べている時、心底満足そうな顔をする。

 

 だから、ビスコを食べさせ、バナナを食べさせ、みかんを食べさせ、唐揚げを食べさせ帰ってきてしまう。

 

するとどうなるだろうか?

 

一時の楽しさの、幸せな顔をみたいが為に自分が必死になって大切にしようとしているリズムをぶち壊しにされた奥さんは、

 

不快感を露わにして、夫を憎む。ひたすらに憎む。

 

 

昨年にこんな記事を書いた。

今もこうした「女性や子ども達を『理想の母親像』や『理想の子ども像』なんてものから

引き剥がし、その人というかけがえのない存在に戻してあげる瞬間を作ること」が

 

大事だと感じている。けれども、補足する部分を2018年、主夫を経験して見つけた。

 

現代の父親は「自分なりの家庭での役割や関わり方を自分で自由に作っていきやすい。」と書いていたが、「自由」ではないのだということ。

 

つまり、家庭における役割は、ベースを作っている人が「何を大切にして」「どんな子育てをしているのか」「どんな家庭を作ろうとしているのか」等といったことを知った上で、形作るのだということ。

 

家庭家庭で千差万別である家族の形。

 

それは自分の関わりによって、連動性・統一性のあるものにしていくもなのだという認識を父親が持つ。

 

そうすることで、夫婦のコミュニケーションは自ずと増え、ズレは減る。

 

そうして「理想の母親」だとか「理想の子ども」だとかではなく、その人らしく家族の中で振る舞えるようになるのではないかと、今思うのだ。

 

 

◆来年、父力講座をします!

こうした分析を行っても、実際に伝えたり、行動に移したりしなければ何も変わらない。いきなりベストは難しくとも、とりあえずやってみなければ。

 

ということで、こうした父親の認識、感覚、役割を子どもとの遊びを通じて養ってもらう父力講座(仮)を年明けに構築して試行、来年度には開催していきます。

 

 

また、合わせてファミリー支援イベントや、個人&パートナーセッションの出店も行っていきますので、どうかよろしくお願いします。

 

12月16日は鳥取出店!こちらのイベントに参加させて頂きます♪

Happy Holiday〜クリスマス編 chouchou in鳥取大丸 vol.3