ポストシュフ宣言 【前編】
僕は主夫(シュフ)じゃなかった。
「と、突然どうした。」
「お前主夫だったろ。職業調査欄、主婦(主夫)に◯つけてただろ。」
と、戸惑われますよね。
ええ、3年前は高校教諭でしたが退職、2年前はバトンタッチ期間で私立高校の非常勤講師、昨年度からは無職であり、家事育児を担う専業主夫です。
2020年度からは長男も年少になるため、兼業主夫になる予定でした。
この2年間、あらゆる所で公言してきました。
「北原泰幸です。妻が働いていて、僕は主夫で2児の子育てをしています。」
皆が言ってくれました。
「すごい!素敵なお父さんね〜。」
「理解のある旦那さんね〜。なかなか出来ることじゃないわ!」
「料理もしてるの?すごい!うちの旦那なんて…。」
いついかなる時でもお母様方からもてはやされました。
「それほどでもあるよ!」とまんざらでもない思いを抱きながら、
「世の女性は同じことをしているのに、性別が違うだけで不思議だな。」
と、少しの違和感を持っていました。
妻は職場や知人に「旦那さんは何してるの?」と訊かれると皆に言われたそうです。
「大変やなぁ…。で、いつから旦那は働くんや?」
「旦那を養うのも大変やろう。で、いつ(略)」
いついかなる時も男性陣から旦那の心配をされたそうです。
その時妻はいつも、「養っているつもりなんてないのに。」
と変な気がしたそうです。
果たして僕は一体何なんだろう。
自分を「主夫」と規定するのは、何か違う気がする。
特に2019年度、引っかかってきました。
そして出た結論が冒頭です。
やっぱり僕は主夫(シュフ)じゃなかったです。
違和感の正体を探ってみた。
そもそも「主婦」とは何か。辞書で引いてみた
その一家の中で、家族の世話をし、家事を取り仕切る立場にあるとされる女性。
『新明解国語辞典 第七版』
ということは、「主夫」は「女性」を「男性」に置き換えればいいのか。
では、「主婦」と対になることは何か。
「主人」である。
一家の長として家族を扶養する立場にあるとされる人。(一般に男性を指す。)
『新明解国語辞典 第七版』
ふむふむ、やはり構図としては「男は外で稼ぎ、女は家を守る」という伝統的なスタイルですな。僕は制度上は確かに扶養に入っていて、ここ2年稼ぎはほぼ100%妻だから、確かに主夫か。
が、腑に落ちないのである。何でだろう。
「主婦」「主人」、共通しているのは「主」である。
「メイン、仕切る、長、リーダー、統率」そういう意味合いをこの「主」という言葉は持つ。暴走族的な用語でいうと、「頭(ヘッド)」である。
・・・。
ここだ!!
第一に、
確かに今、家事育児を中心的に担っているのは僕だし、労働をして賃金を得ているのは妻だ。
でも、僕らは「二人で稼いでいる」「二人で家事育児をしている」という認識で、どちらかが役割上「主・長・頭(ヘッド)」という概念を持っていない。
だって、僕らは家族としてお金を使い、お金を得て、生活を回しているからだ。二人を分離して考えることはできない。二人の中で状況に応じて負担具合が常に変化しているからだ。
第二には、実際、「主夫」を名乗るには僕はおこがましいと思うぐらいにしか家事ができていないということ。
そもそも平日日中ほぼ家にいない。
朝8時30分には子どもたちを車に乗せて、45分かけて森のようちえんまで上の娘を送り、その後息子と共に15時頃まで色んな所に行き、また娘を迎えて16時頃に帰宅する。そこから夕飯やら何やらして…洗濯は出来たらして…、妻が帰ってきたら家事捗るー!というイメージ。
妻との家事割合は体感でアベレージ50%ぐらいじゃないかと思っている。
俺、全然「主」じゃない!
育児はめちゃくちゃしているが、それだって妻が常にしてくれている。多分妻が性別男性だったら、「スーパーサラリーマン」、「理想の男性」だと思う。ウルトラリスペクト。
じゃあ、結局「主夫」じゃなくてなんなのよ。
そのまんまですよ。
フです。
僕は「夫(フ)」です。
・・・・・
・・・・・
何言ってんだこいつと思った方、
非常に正しい。
でもね、そう表現するしかないんですよ。
僕のライフキャリアも、家庭の中での妻と夫婦となって家庭を作り始めた時から、もう単独では語れなくなっていた。
家事も育児も労働も余暇も学習も、僕らは共有して生きるようになったから。
「それは僕らおしどり夫婦なの♪」
「いつでも一緒なの♪仲いいでしょ♪」
なんてことが言いたいのではなくて。
どちらが「主」であるなどと役割で綺麗に割ることができない。ここからここまでが夫である僕の分担で、ここまでが妻の分担という説明が他人にできない。だって、それは状況によっていつも変わっていくから。
「夕食もお父さんがいつも作っているんですか?」という問いにも、妻抜きに答えることができない。休日妻が作ることが多いし、平日でも妻が早く帰った日でも僕が子供にかかりきりの日は作ってくれるからだ。
「はい!いつも僕が夕食を作っています!」
と僕が答えることはできる。それは簡単だが、嘘だ。
これは絶対についてはいけない嘘だと、どこかで僕の心が言うのだ。
「フ」という音だけでは、存在、意味が特定できない。説明できない。
「夫婦」と二者が揃うことで、初めて「フーフ」と音だけで意味が認識できるようになる。
僕自身もそうだ。僕のキャリアは、片割れのフ(婦)である妻が揃うことで、初めて意味を持つ。
だから、僕は「フ(夫)」でいいのだ。僕らは二人で一つの形を作っているんだから。
おいおい、そんな依存状態で男として、いや、人としてどうなんよ…大丈夫なん?と思った方。
非常に正しい。
けど、大丈夫なんです。
続きは次回書く後編で。