ゼロチチ!〜0から父親になろう〜

2児の子育てに奔走する新米パパの家庭進出ブログです。

弓矢と狩猟社会とLDの関係。

いやね、今日弓矢を作ったんですよ、家で。

 

弓と矢。

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何が弓と矢だ!

 

これは単なる、

 

ホームセンター産の丸棒と

 

ビーズ用のゴム糸と

 

ベビーチェアの一番最初にいらなくなるアレの合成物だろうが!!!!!

 

 

これが弓矢とは片腹痛いわ!!!

 

 

すいませんみなさん。申し訳ない家族。

とんでもないバッタもんを作り出してしまいました。

 

でも、仕方なかったんです。ベビーチェアのアレを本体から外した時からね、アイツが僕に言うんですよ。

 

「オレを使ええぇぇ。」

って。

 

「ほら、オレの形、なんかそそるだろ?なんかに似てるだろ?」

「ほれ、さぁ作れよ。さぁ。」

「カッコイイのできるぞ?きっと子ども達おおはしゃぎだぜ?」

ってね。

 

それでね、できたのがコレですよ。

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何この持ち方とフローリング。

 

かっこよく見せようと思って撮ろうとした様が見え見え。

 

これ見よがしのツーフィンガーと手首の角度がもうね。

そんなポーズ付けてる暇があったらゴム糸の端処理しろと。

 

 

 

へへ、でもこんなね、何のしなりもない弓と、工夫といったら弦が引っかかりやすくなるように入れた切れ目ぐらいの矢でもね、子どもは興味津々で近づいてくるんですよ。

 

ネーミングの勝利ですよ。

言ったもん勝ち。

おつな響きだよね。「ゆみや」。

 

 

さぁ、この弓矢を娘が手に取ったはいいが、困った事態が発生したんですよ。

 

 

 

弓に矢を番える。まずこれが難しい。

(そもそも単なる丸棒だし。)

 

そして、矢を番えながら弓を左手で支えて目標に向けないといけない。

 (ベビーチェアのアレ、以外に分厚く重量あるし。)

 

そこから矢を引く。が、張りが弱い。まるで手応えがない。

 (ゴム糸…飛ぶと思ったんだけどなぁ。)

 

父は焦る。

「あ、弓矢って実は複数の精密な動きを要求するタイプの道具だったのか…。」

 

漸く気づく。

 

これは発達段階に合ってない道具だと。

(そして、道具の作りが悪すぎて大人並みの器用さで操作をカバーしないと、)

まともに矢が飛ばない。

 

 それでもなんとかして矢を飛ばそうと食らいつく娘!

 

やだ…この子なんて健気…。

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自分なりの番え方で矢をセットしようと必死。

父も「左手で弓をもって、右手で矢をトレンティ持ちして…」と必死。

 

娘は父のアドバイスを完全無視して試行錯誤。

 

やめときゃいいのに、作りたてホヤホヤへの自作弓矢への愛情か自負心からか、

 

「みーちゃん!まずはやり方を教えてくれてる時はそれ通りやってみなさい!!!」と自分流の構え方を強要。

 

案の定動作が複雑すぎて、

 

「できないいいいいいいいいい」

と限界水域突入。

 

夕飯の準備をしていた妻は当然のごとくご立腹。

そんなものもうどうでもいいからどっかやってよ。」

 

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 指先に表われた愛情と自負心が砕け散る。

 

弓矢の話と発達(学習)障害

ま、まぁアホな弓矢を自作したアホな日常のお話でしたが、実はこの出来事、僕の中ではここ二週間発達障害、なかでも学習障害に重点を置いた支援者研修を受けていたので、そことちょっと繋がって見えたのです。

 

発達障害と言われる特性のある方は、得手不得手が非常にはっきり分かれ、興味・こだわりにも偏りがあるケースが多いです。

 

その非常に苦手な部分(例えば書き)でかつ、手先の発達もあまり進んでいないような状態で小学校1〜6年ひたすら漢字の書き取りやらたくさんの科目の教科学習カリキュラムをこなさなきゃならないのって、恐らく相当しんどい。擬似体験を通じて実感しました。

 

ちょっとこの弓矢のケースに置き換えて考えてみると、

 

うちの娘みたいに興味があれば「やってみたい!」って多少無理でもやろうとするだろうけど、

 

それでもやっているうちに「これうまくできない」って思ったら、多分この弓矢に触ろうとはしなくなると思うんですよね。

 

なのに、そこに「いやいや、だから弓矢の持ち方はそうじゃないんだよ!左手で弓を持って!」なんて毎日毎日この弓矢持たされて、

 

「宿題だよ。」と家での自主トレ1時間させられて(それは自主トレとは言わぬ。)

 

…まぁ嫌いになりますよね。

 

そもそも弓矢に興味すら持ってなかった人からすれば、

 

「弓矢使えないと社会に出て困るから!」なんて言われても、

 

「矢の種類とか弓の構造とか弓の歴史とか、そんなもの覚える意味ねぇし!」

「大体、そんな狩猟社会でたくねぇよ!」

 

って叫びたくなるよね…。

 

発達段階と興味関心、そして経験は学習において非常に重要。

 

こういう特性の子たちって、小6まで興味のあることを中心にトコトン突き詰めて遊んでいたら、発達段階も興味関心も経験も、6年間を弓矢の苦行に費やすよりはずっと育って、「弓矢できるようになったら、めっちゃ世界広がるな!」って思えるになって、案外すんなり短期間で学習が進む気がしてしまう…。当然、そんな単純な話でもないのだけど。

 

制度の中で、生徒・保護者・教師・支援者皆さん懸命に活動されている。だけど、それが結果的にめちゃくちゃ勿体ない時間の使い方になってしまっている気がして、辛い。

 

高校で教師をしていた時、今思えば学習障害の範疇に入っていたのかもしれないなと思い当たる子はいて、でも当時はその子の「高校での国語学習の現状」しか僕には見えていなかった。

 

でも、小学校からずーーーーーっと続いてきた学習活動の延長線上に高校の教科学習はある。そう考えた時に想像される、彼らの抱えていたしんどさ、重さ…全然わかっていなかったなぁ。

 

今日はこの学習障害児支援員養成研修最終日。

自分に何ができるのか、どんな選択肢が作れるのか、行動がとれるのか考えてこようと思います。

 

もちろん弓矢と狩猟社会に話を読み替えてね!