ゼロチチ!〜0から父親になろう〜

2児の子育てに奔走する新米パパの家庭進出ブログです。

性格の悪い豚、あるいは全自動不快感発生装置。

きっと今、自分は性格の悪い豚のような表情をしているんだろうなと思う時、ありませんか。

 

「お前、豚の何を知っている!!全国の豚に謝れ!!」

とお怒りの方、完全な脳内イメージでこんなこと言ってすいません。先に謝っておきます。

 

どうでしょう。

僕はよくあります。

 

どんな顔かというと、

 

憮然として、視線は決して合わせないように下を向き、半眼で、あからさまに不機嫌でありながら、その状態が長時間続いたがために「別に不機嫌じゃないですけど?これが普通ですけど?まぁ、それも私以外の誰かさんのせいだけどね。」などというふて腐れた気持ちを抱いた…

 

そんな顔。

 

多分目の前に自分がいて、この顔みたら、殴ってると思う。

 

妻も、子供も、こんな男と一緒の空間にいるの、嫌だろうなと正直思う。そんな状態。

 

 

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不意に娘が撮った、ある瞬間の写真。これ二倍酷くした感じ。

 

 

どんな時に僕は豚になるのか。

 

例えば、妻の帰りが9時越えの日が月火と続いた水曜日。

妻が6時半に帰宅した瞬間。

 

6時半に帰ってくるのも、本当はとても大変なのだとわかっているのに、どうしても「6時に帰って来てくれていたら」と思ってしまう。

 

子供の食事開始は6時〜6時半のリズム。


夕方の食事を作る時間帯が鬼門・もっともしんどい時間帯で、

息子がキッチンで調理する僕の足にすがりついて泣き叫んだり、

テレビを見ていてくれてるかと思いきや姉弟ケンカが勃発していたりで、大抵悲惨なのだ。

 

だから、「何故あと30分早くならないのか。終業時間は4時45分なのに。」

と思ってしまう。

 

そしたらこんなに辛くないのに、という思いが、早く帰ってくる日でも、僕を目つきの悪い豚にする。



妻が「ただいま〜」と帰ってきても、食事をしている居間に入ってきても、僕は背を向けたままで、目を見ることができない。

 

不機嫌の色を隠せないからだ。

 

「・・・怒ってる?」妻は聞く。

 

「別に、怒ってはいないよ。」と僕は返す。

 

リピートアフターミー!

 

「怒って・は・いないよ。」

 

このセリフが含む主張は以下の二つ。

 

①「別に怒ってるわけじゃないし!仕事大変だってわかってるし!そんな常時怒っているようにみなさないでほしいし!!!」という主張。力点は「怒って」。

 

②「こちとら誰も見ていないところで必死で戦ってたんだし!メチャクチャ大変だったんだし!!!」という超遠回しの主張。力点は「は」。

 

・・・いや、もうほんと酷い。

 

こうして書くのが耐えられないレベル。

母親にオートで反抗する中学生みたいな態度。

 

 

これが、前回書いた涅色の感情に囚われている状態の僕ですよ。

家事・育児は心身を蝕むことがある。

最近思うのは、家事と子育てというのは、まさに泥まみれの日常だということ。

 

文字通り糞尿にまみれ、子供の出す感情の排泄物にまみれて生きている。

 

そんな中でも、家庭を預かる身として家も子供も自分も清潔に保ちたいと日々思っている。

 

けど、それが出来ずに結局は苛立ちを募らせていく。

 

やがては自分の感情もコントロールを失い、心の排泄物を怒声・罵声にして響きわたらせたり、抑えきれずに滲み出す泥のようなもので我が子や伴侶を侵食してしまう。

  

心の余裕がなく、夜寝る前に水を飲みまくる息子をみかねた妻の、「シュウマイを食べ過ぎたんじゃないかな?」なんていう言葉にすら、みっともないぐらい感情を苛立たせる。

 

「あれーーーーー、自分ってもっとクリーンで、心に余裕のある男だったはずだったんだけど・・・」と泣きたくなる。

 

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「こんなの自分じゃなああああああい!!!!」
「こんな俺を見るなあああああああ!!!!」

 

と、心の奥で矛盾した声を上げながら、キレる。


しかし、見られたくないなら、キレなければいいのに、キレている。

 

・・・・・・・なんでなんだろうと、ふと立ち止まって考えてみた。

 

豚と化した主夫の怒りの奥にある声。

 

 

多分、「見るな!」は裏返しの意味、「俺を見ろ!!」なんだと思う。

 

そこには、

「これだけ疲弊している俺を見ろ!」

「こんなになってしまうほど頑張っている俺を認めろ!」

という自分の頑張りを認めて欲しいという声がまずある。

 

そして同時に、

「よく俺を見ろ!本当の俺はこんな全自動不快感発生装置じゃない!わかってるよって言ってくれ!」という本当の自分は違うと言って欲しいという声もある。


でも、奥底にある、一番聴き取って欲しいものは、

「俺を見てくれ。性格の悪い豚、あるいは不快感発生装置になりさがった薄汚れた俺を。でも、こんな俺も俺なんだ。どうか受け容れて、愛してくれないか。」という、

そのまま自分を愛して欲しいという悲鳴にも似た哀願の声なんじゃないかと思うのです。


 

 長くなったので、続きは次回に。

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