封印されたボックス。【中編】
ゲーム機に触れなくった理由。
まさかの中編。今回はゲーマーだった僕がゲームをしなくなった理由を振り返って考えてみました。
僕がゲームをしなくなった大きな要因は、3点。
①もう十分やったから。
最大要因である。
ワンダースワンには少年時代の膨大な時間をかけた。
発売ソフト数が全199タイトルにも関わらず、
100本以上ソフトを所持しているという狂気。
そして、その中でも自分が面白いと感じたゲームは全てやり込み済みだ。
オンラインゲームにしても、ネットで出会った友人達とギルド(仲良しグループ)を作りマイソシア大陸を駆け回り、一人で・皆で行きたい所には全て行った。
ギルドが解体した後、ほとんどの友人の引退を見送った。
もはやゲーム内ですることは、たまにログインして去った友人が来ていないかをチェックするだけ、という所まで至った。
もう、いいのである。
僕のゲーム魂はワンダースワンとアスガルドに象徴され、二つとも終わった。
どれだけ今後面白いゲームが出ようとも、あの頃の情熱・楽しさを超えるものを自分が感じることは確実にないとわかってしまっている。
これ以上何か別のものをプレイしても、あの頃の面影を追い続ける虚しい行為にしかならない。
だからもういいと思うのだ。ピークはあの時。ゲーム魂は燃焼し尽くした。
残っているのは「思い出」だけ。
現在でも、ふとしたきっかけで瞬間的に「ワンダースワンやりてぇ!」とか、「ゲームやりてぇ!」と思う瞬間はやってくる。
けど、結局ちょっとやったらすぐ満足する。
それはあの頃を「思い出せた」ことで満足するからだ。
②妻の影響があったから。
家庭用及び携帯ゲーム機にほとんど触れなくなったのは、妻の影響もある。
彼女はほとんどゲームをやってきていない。
どれほどのものかは、彼女が知っているゲーム機名を挙げた時に出た、次のハード名で理解していただけると思う。
「セガプレ」
これを聞いた時、ファイナルファンタジーを制作していたスクウェアとドラゴンクエストを制作していたエニックスが合併して「スクエニ」になると知ったときと同様の衝撃を受けた。
もしやセガサターンとプレイステーションが融合して家庭用ゲーム機市場最強のハードがゲーム業界を支配したパラレルワールドから彼女はやってきたのか。
正直そのハードをプレイしてみたいという欲求すら湧いた。
とまぁ、そんな彼女と付き合いはじめ一緒に過ごすようになると、ゲームの話題は一切でない。
ゲームセンターにもいかない。
だから興味がそちらに戻ることがめったになくなった。
③仕事に就いたから。
無限に思えるほど時間があった学生時代は過ぎ、ホテル運営会社に就職した僕は「学生」から「社会人」にクラスチェンジした。
入社当初、僕は恐ろしいほど使い物にならない社員だったはずだ。
研修中のフロントカウンター、
先輩の動きを見せてもらっている時、常に挙動不審に後方を往来。先輩の手伝いをしようと特典のバスジェルを探すも、バスジェルの場所がわからない。結果的に邪魔をしているだけ。
チェックインの時、旅行会社経由のノーバウチャー予約(精算済み・回収チケットなし)で全く何も特別なタスクが発生しないお客様でも、自分の行為に失敗はないか不安で後ろの先輩をチラチラ振り返る。
お客様が外出でカウンター前を通りすぎる時、顔がひきつっている。
かの大陸では修道士レベル93でも、ホテルマンとしてのレベルは1。
何か尋ねられないか怖いのだ。
「マイソシア大陸の火山エリアへの行き方教えてもらえますか?」
なんて聞かれるわけがない。
どうしようもない新入社員。
しかし、なんとありがたいことか、同期に恵まれ、先輩・上司に恵まれ、後輩に恵まれ、支えてもらえた。
必死に一日一日過ごすことで、少しずつ「社会人」「ホテルマン」のレベルを上げることができたのである。
現実社会で仕事をし、お金を稼ぎ、時間とお金を自分自身を向上させるために費やす。
仕事の仲間と長い時間を過ごす。
働くことは物凄く大変(特にレベル1〜10ぐらいの頃。正直何度か泣いた。)だけど、こんなに楽しいのかと知った。
(ホテルからみた朝焼け)
僕はあなたの「青春時代」っていつ?と聞かれたら、迷わずこのホテルで過ごした5年間だと答える。
振り返ればそう言えるほど、現実世界での「新たな冒険」は充実したものだった。
だから、職場でミスして先輩の激しいお叱りを受けた時に涙目で布団に転がりながらプレイすることはあったが、基本的にゲームの中での冒険は不要になっていった。
ゲーム時代は永遠には続かない。
以上①②③が、ゲームをしなくなった理由である。
僕は学生時代にゲームに熱中した。ずっと続くのかなと思っていた。
でも続かなかった。
人間、満足したら次の世界へ行くからだ。
それに、人と関わっていると別の世界が開けてくる。
僕は学生時代、学校という世界の他に、家庭用ゲームソフトという閉じられた世界、オンラインゲームというゲームとリアルが入り混じった世界で過ごした。
これは現実の実社会で過ごす前準備になっていたのかなと振り返って思う。
現実世界はやり込み要素がやたら多い。
「教師レベル1」「キャリアカウンセラーレベル1」「夫レベル1」「父親レベル1」…。ああ、「草木染め」や「裁縫」もレベル1だし…更に娘や息子のレベル上げの手伝い…。
もうレベル上げは現実で十分なのだ。
だからもうゲームは封印。でも、たまに触れたくなるから、あのボックスだけ捨てずにとってあるんだろう。
次回【後編】では、「ゲームをやること」の意義や現在・子育てへのつながりを分析します。