「シーだよ!」。父を悩ます娘の言葉。
「シーだよ!」
最近2歳半になる娘がこのセリフを僕に言う。
どんな時使われるかというと、
例えば「みかんをもっと食べたい時」に発動する。
「お父さんお父さん!」と僕を台所に呼び出し、
「シーだよ!」と釘を刺す。
そしておもむろにみかんを取り出し、
「みかん食べよ!」
と誘うのだ。
彼女の「シーだよ!」とは、「お母さんには内緒だよ!」という内容を示す隠語なのだ。
ここでのポイントは彼女の発言は「食べよう」という「勧誘」であることだ。
つまり、「みかん食べたいだろ?お前も共犯者になろうや」と彼女は言っているのだ。
彼女は見抜いている。以下の5点を、だ。
- 我が家の食習慣に関するルールを統括しているのは「母」だということ。
- ご飯後にすでにみかんを一個食べた今、もう一個のみかんは許されないということ。
- しかし「父」は食習慣に関してわりと緩いということ。
- 「父」は家庭のルールを統一するために「母」に確認をすることが多々あるということ。
- そして、「父」は家庭のルール形成の一翼を担い、場合によってはルールを曲げることができる権力をも持っているということ。
「シーだよ!」ということにより、
「お前だけに言うんだぞ!」と守秘義務を負わせ、まず父の⒋を封じているわけだ。
まさか、この時点で父が裏切り、
「みーちゃんがみかん食べるって言ってるんだけど!」
なんて言うわけがないと彼女はわかっている。
裏切りによって娘の父への信頼を著しく損ない、父への不信感を剥き出しにした目をすれば、容易に父のハートは砕け散る。それを恐れて父はしない。
そして、「食べよ」という勧誘表現。僕を共犯化すれば⒌の権力発動によって、事が母に露見した時の安全も確保可能だと理解していることを示す。
「お父さんがいいって言ったんだよ!」
といえば、お母さんの手前なんらかの言い訳を作って今回の2個目のみかんを、例外措置扱いにするに決まっている。
万が一母が激怒した場合でも、
「お父さんも食べたんだよ!」
といえば、怒りの矛先を父に向けることができる。
さらに、一緒に内緒でみかんを食べるという背徳的行為が、娘の愛を求めてやまない父にとって大変に魅惑的なもので、成功確率はかなり高めだともわかっているのだ。
本当に恐ろしい子…。
「みかん食べたー!」
度々ぼくはこの魅惑的な誘いに屈してしまう。
彼女は嬉しそうに、「じゃ、扉しめよっか!」といってそそくさと犯行現場を密室化する。手馴れたものだ。
あっという間に平らげたあと、「美味しかったね」と極上の笑顔を浮かべる。
この笑顔を見て、
「娘が喜ぶことをしてあげたんだ、自分は。」
などというわけのわからない満足感が胸に起こる。なんだこれは。
しかし、相手は恐るべき2歳児。彼女は仕上げを忘れない。
扉を開け放ち、隣の部屋にいた母と弟の元に駆け寄ると、事もなげにこう言い放つ。
「お母さん、みかん食べたー!」
ちょっと待て。
おい、ちょっと待て。
違うんだ、待ってくれ。
違う、俺は、誘われただけなんだ。
「違うんだーーーーーーーーーー!」
「計画通り。」
原因は父親(僕)にあった。
実際、この「シーだよ」」はぼくが冷蔵庫からローストビーフを食べようとしたかした時に、娘を巻き込んでこのセリフを言ったことに端を発しているのですよ。
なんて悪い男。
あーーー、しまったなーって思ってます。本当失敗だった。
けど、こうしたやりとりをどこか楽しんでいる自分もいて。
「絶対嘘ついちゃだめ!」なんて教える必要はないかなと僕は思っています。
けど、これが発展していって、
「ついてはいけない嘘」をつくようになってしまわないかが怖いところ。
また、「安易に嘘をつく」、「人を自分の欲望のために巻き込む(父がやってしまったやつ)」という程度が激しくなっていったりしないかなと懸念も。
日々気にしすぎて重々しくなっては過ごしていけない。
けど、気をつけることなく軽々しい関わりを続ければ、子供がいずれ困る。
種は自分で蒔いてしまったわけで。
子育てって難しいですね。もうちょっとちゃんとしよう。