不機嫌ベースの夫婦関係で大事な三つのこと。
先生…後編が、ずっと書けず…夏休みも終わり…今日になってしまいました。
でも…理由が…
「言い訳は後で言いなさい。」
すいません。
本題
不機嫌ベースの夫婦関係で大事な三つのことは、
①ユーモア
②共に踊ること
③スキンシップ
何故この三つか。
ちなみに過去記事はこちら↓
①ユーモア
これは常時不機嫌状態に陥っている時の「合図」のような役割をする。
なにせこの不機嫌野郎ときたら、常に半眼、妻の仕事帰りの「疲れた〜」をとらまえては、『は?絶対俺のほうが疲れてるし。』などと心中で毒づき始める状態なのである。
これではもはや論理的な意思疎通ははかれない。90%の確率で相手の発言意図を歪曲するからだ。
しかも厄介なのは、その状態が常態化しすぎて「自分は怒ってない」「通常運転である」と自分では認識しているというところだ。
この相手に「何怒ってるの?」「何か悪いことした?」などと発言すれば、
「は?別に怒ってないし。これが普通だけど?それとも人のこといつも不機嫌だとでもいうつもり?いい加減にしてほしいんだけど。」
などという高速デスボールが返ってくることは間違いない。
だからこそここでは通常言わないようなジョークを発する必要があるのだ。
例えば…
「おおっと、これはうっかり、申し訳ない。あまりにも君の顔がチャーミングすぎて、つい甘えてみたくなったのさ。この萎れた花のような僕に出来れば30秒ほどハグの水分補給をお願いしたいのだけど…だめかな?」
(ランダル・ピアソンはこんなセリフ喋っていません)
これだ。
できるだけ大げさに。顔も異様に変形しているぐらいがいい。
小粋なアメリカンジョークやユーモアをきかせた発言がうまくできず、ただキモいだけになってしまったとしても構わない。
これが悪循環につながる話線をズラし「私は争う気はない、仲良くしたいだけなんだ、ベイビー」という合図なのだと伝わればいいのだ。
これがうまくいけば、ちょっと攻撃的な言葉が止み、
「あいにくだけど、二人の抱っこの筋肉疲労であなたまで受け止める大胸筋の余力が残ってないの。さ、さっさと着替えてあなたを待ちわびてたチビっこ達を30秒ずつハグしてあげて。均等にね。」
「ラジャー。」
と、場の雰囲気を緩和でき、スムーズにつぎに移行できる。
注意点としては、夫婦で「お互い不機嫌ベース」であり、ちょっとしたことで激しやすいから「ユーモアやジョーク」でうまいことズラすことが大事だと認識が共有できていること。
この意識の共有なしに、このジョークをかました場合、致命的な怒りを招く恐れがある。
②共に踊ること
基本的に、家事育児に従事していると、抱っこなどの「姿勢を維持する」ような筋肉は使うが、ダンスのような激しい運動は行わない。慢性的な運動不足なのだ。
この運動不足、発散できていない肉体のくすぶりが、不機嫌を生み出す。
仕事をしているパートナーも、同様に運動不足であることが多い。
しかし、何かのスポーツをする時間はなかなか取れないし、ハードルも高い。
しかも技量差があったりすると、更なる苛立ちの元になる。
そこで活躍するのが、
Wii fitnessparty
これだ。
なんとこのソフトなら二人で、家で、子供が寝静まってから一緒にダンスを踊ることができる!!!
しかも、Wii fitプラスに登場する「ウィーボ」のように「おや?1805日ぶりですね?」などという嫌味をこのソフトに登場するトレーナー達は言ってこない。(はず)
彼らは僕らのようなダンス初心者のダサ坊にも、
「イエェーーーイ!レッツダンスィーング!」
「貴方の腰の動き、最高よぉぉーーーー!!」
などと小刻みに震えながら気分をアゲてくれるのだ。
そして気がつけば1時間以上二人で給水も忘れて踊り狂ってしまう。
そして驚いたことに…
踊っているうちに二人で笑いながら、結構気分爽快になっているではないか!!
しかもこの踊りには副次効果がある。
自分の身体を思いっきり動かし、かつ相手の躍動する身体を眺めていると…
③のスキンシップがとりたくなるのだ!!
だから、8月中僕はよく言っていた。
③スキンシップ
当たり前なのだけれど、やっぱり夫婦生活においてここが肝だと実感していた。
大事なことなので確認しておく。
このスキンシップは「手を握る」から「性交渉」まで含む。
日本ではどこか「性」について触れることを避け、隠すような風潮がある。
これは確かに繊細な話題でもありうるのだが、
夫婦においてセックスは超重要であり、決して隠すような恥ずかしい・やましいことではないと僕は考えている。(セックスレスは日本人の多くが抱えている悩みであり、支援が必要な内容だとも思っている。)
スキンシップは言葉を用いない、直接的なコミュニケーション手段である。
そして、パートナー同士においては、お互いのみで可能な「楽しみ」であり、互いを深く知って、二人で探求していく奥深い世界でもある。
普段不機嫌になってしまっている自分と相手が、「愛情が通いあっている」と実感できる瞬間、素直になれる瞬間がこのスキンシップの中にはある。
決してこの存在を軽視すべきではないと僕は思う。
①の項目にあったような、
完全に論理的な意思疎通がはかれない状態にあっても、
言葉を用いずに、スキンシップを習慣的に取るようになっていたら…
「火曜日はハグの日」
クタクタになって帰ってきた相手の表情、ハグの時にかかる重み、身体の感覚が、「ただ相手は疲れていること」を伝えてくれる。
当然、ハグなんてしたくない時もあるし、そんなうまくいかない、冷淡な、そっけない対応になる時もある。
それでも、ハグする。スキンシップを意識的にするのだ。
肉体的な拒絶は正直辛い。それでも、時には傷ついても、
「できれば今、君とハグしたいんだけど…いいかな。」
と言うのだ。
まとめ
今はお互い忙殺されて余裕が全くないけど、お互いが恐ろしく不機嫌だったりするけど、それはそれで仕方がない。
以前のこちらの記事にも書いたけれど、
夫婦関係にも巡り来る季節があり、冬だってある。
「日々の生活」というのはどれだけ愛し合った二人でも、笑顔を奪い去る状況をつくり得る。見慣れた不機嫌顏や、怯えた相手の顔に嫌気がさすことだってあるのだ。
お互いが今しんどい状況におかれているならば、その中で互いに笑顔を維持することは不可能に近い。
「その事実を認めてしまおう。」
というのが今の僕ら夫婦の認識だ。
当たり前に不機嫌だからこそ、
お互いの努力の末、なんとか作り出した「意思疎通の成功」「愛情の通いあう瞬間」は、いつも笑顔で幸せだった時とはまた違う喜びがある。
お互いを受け入れられないことも多いながらも、なんとか、
「今のあなたが好きです。今のあなたを愛しています。」
と伝えあうことが大事なのだというのが、今の結論だ。
ケンカを繰り返しながらも、互いの嫌いなことを知り、うまいことユーモアでズラす技術や、一緒に踊る習慣、スキンシップをとる習慣を身につけ、最終的に「ケンカしたけど仲がよくなった」夫婦を目指して、日々試行錯誤する。
パートナー同士の冷静な現状の認識と、パートナーシップを維持していくための共通認識が必要な…
なかなかタフでやりがいのあるミッションである。
ちなみに
なんでずっと、この後編が書けなかったかというと…この8月後半、
①も②も③も大事だと思いながらも、それを疎かにしてしまうほど「自分のやりたいこと」が膨らんでしまったこと、
そして、子育て生活の「ある苦しみ」がひどくなってきたことが関係している。
このあたりをまた分けて記事にしようと思います。
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一日がもし三十時間になったなら。
終わらない家事を前に、
「神様が一日を三十時間にしてくれたら、全部完璧にこなせるかもしれん。」
なんてことを考えた。
けど、一日が三十時間になったらおそらく食事が一回増える。
そんなことになれば一ヶ月程度で発狂すると気づいた。
一日を二十四時間にしといてくれてありがとう神様。
ありがとう太陽。
「気にすんな。」by神様
すいません、今前回と前々回の続きを久しぶりに書いてます。
今少しお待ちを…。
天女と生活。不機嫌ベースで考える。
今回はこちらの記事の続きです。
いきなりですが、家庭生活シミュレーションゲーム!
帰宅早々、家事育児で疲弊した夫がいる。
さあどうする?
⑴「今日も一日、本当にありがとう!」と笑顔で感謝を述べる。
⑵「何かあったの?」と気遣うように声をかける。
⑶「そんな顔は、君には似合わないぞ。」と抱き寄せる。
結果
⑴「感謝してるならもっと早く帰ってきてほしいし、いますぐ子供の面倒をみてほしいんだけど。」と仏頂面で言われる。
⑵「別に。いつも通りご飯を投げたり眠くてぐずってたりしただけ。」と目も合わせず言われる。
⑶「じゃあどんな顔しろってんだよ!?」と思いっきり弾き飛ばされる。
なんというムリゲー。
選択肢を全部試してみても、徒労感しか得られない。
どれを選んでもダメなのである。
夫は笑顔にならない。
しかし、これが現実。
これがこそが真のリアル家庭生活シミュレーションなのである。
「いつも笑顔でいてほしい」という言葉に潜む暴力性
以前、妻が育休で主婦をしていた時に、僕がよく言っていた言葉を思い出す。
「君に笑顔でいて欲しいから」
キリッ
終業後すぐに帰り、子どもを外に連れ出して遊び、寝かしつけた後に洗い物をして、洗濯物を畳む。
しかし、いくら頑張っても妻の不機嫌モード突入は回避出来なかった。
そしてある日言われた。
「ごめん、笑顔でいてって言われても、できないからしんどい。そう言われるのが、すごく嫌なの。」
まさかの逆効果。
あの時、僕は妻の気持ちが全く理解できていなかった。
けど、今はよくわかる。
いくら頑張ってもらっても、常時笑顔でなんていられるわけがないのだ。
例えば、朝起きて残してしまっていた洗い物を処理しておいてくれたとする。
それでも朝ご飯を食べさせている最中、息子が制止の声を無視して味噌汁の具のタマネギを二回床に投げただけで、もうアウトだ。
例えば一日一人時間をもらって、リフレッシュしたとする。
それでも翌日、車の中で娘が数日前に食べたアンパンマングミの袋を見つけ、食べたい食べたいと駄々を10分こねただけで、もうアウトなのだ。
1日かけたスッキリも、10分で帳消しになる。
それが休むことなく続く、生活の超パワーである。
そんな生活の中にいる相手に「笑顔でいて欲しい・・・」と迫るのは、
暴力的ですらあると今は思う。
全然ダメだよこのセリフ。
さらにだ。前回の記事で不機嫌モードの心の叫びには三種類あると分析した。
⑴こんなに疲弊するほど頑張っている自分を認めて欲しいという承認欲求。
⑵本当の自分は、こんな自分じゃないとわかってると言って欲しいという理解欲求。
⑶こんなみっともない自分でも愛して欲しいという愛情欲求。
この三つを押さえた上で「君には笑顔でいてほしいから」という先の台詞を考えてみてほしい。
恐ろしいことにこの三つの欲求を、どれ一つとして満たしていないではないか!
⑴頑張っている私を認めるどころか、「おいおい、笑顔でいてくれよ!と更に難しい要求を突きつけている。オロローン。
⑵「いつも笑顔の君が本当の君だよ!」誰ですか・・・それ。それは本当の私ではなく、理想化された存在しない私では?グガガー。
⑶「不機嫌モードの君は、君じゃない!笑顔の君に戻れ!」
グガガガガー。
「相手にはいつも笑顔でいてほしい」は、相手の幸せを願う気遣いから来る言葉ではある。けれど、本人の望みとはどうしてもズレてしまう。
じゃあ、どういうマインドを持っていったらいいのか。
それはまず、生活の前には我々はあまりにも無力だと知ることから始まる。
そして、それ故に「不機嫌でもしゃーない」と諦め、不機嫌ベースで関わりを考えるが重要になる。
「笑顔の妻(夫)」から「不機嫌妻(夫)」への認識転換が必要である。
「と、到底容認できん!!!」と思った方には、是非永瀬清子さんの次の詩を読んで頂きたい。
諸国の天女
諸国の天女は漁夫や猟人を夫として
いつも忘れ得ず思つてゐる、底なき天を翔けた日を。
人の世のたつきのあはれないとなみ
やすむひまなきあした夕べに
わが忘れぬ喜びを人は知らない。
井の水を汲めばその中に天の光がしたたつてゐる
花咲けば花の中にかの日の天の着物がそよぐ。
雨と風とがささやくあこがれ
我が子に唄へばそらんじて何を意味するとか思ふのだらう。
せめてぬるめる春の波間に
或る日はかづきつ嘆かへば
涙はからき潮にまじり
空ははるかに金のひかり
ああ遠い山々をすぎゆく雲に
わが分身の乗りゆく姿
さあれかの水蒸気みどりの方へ
いつの日か去る日もあらば
いかに嘆かんわが人々は
きづなは地にあこがれは空に
うつくしい樹木にみちた岸辺や谷間で
いつか年月のまにまに
冬過ぎて春来て諸国の天女も老いる。
現在の若い女性の多くは、この「天女」である。
(我が妻が夫としたのは「天男」なのである!)
生活から縁遠く、清潔で美しく、夢を持ち、人のために働くのを善美と教育されて育った彼女達にとって、子育てと生活は麗しい想像とかけ離れた、汚れにまみれ地を這う日常である。
そんな中、生活に塗れる前をどうしても思い、自分が空を舞うように仕事をし、自己実現をして輝く姿への憧れを捨てることが出来ないからこそ、不機嫌度は増すのである。
僕らの母や祖母達の世代は、「地に足をつけて生きる」ことを良しとする価値観の中で育ち、生きた世代である。比較してはいけない。生活力も、心のベースも、生きて来た環境も違う。
あなたの妻が天女なら
きずな(生活)とあこがれの狭間で彼女は嘆いている。
それをわかって尚、「うちの嫁さんは天女なんじゃあー、いつも笑っていられるはずなんじゃあー」と言えるだろうか。 きっと言えないだろう。
笑顔をベースにではなく、不機嫌をベースに考える。
では、この発想転換を受け入れた上で、
夫婦はどう関わっていくのが良いのか。
またもや長くなったので、この続きはまた次回に。
性格の悪い豚、あるいは全自動不快感発生装置。
きっと今、自分は性格の悪い豚のような表情をしているんだろうなと思う時、ありませんか。
「お前、豚の何を知っている!!全国の豚に謝れ!!」
とお怒りの方、完全な脳内イメージでこんなこと言ってすいません。先に謝っておきます。
どうでしょう。
僕はよくあります。
どんな顔かというと、
憮然として、視線は決して合わせないように下を向き、半眼で、あからさまに不機嫌でありながら、その状態が長時間続いたがために「別に不機嫌じゃないですけど?これが普通ですけど?まぁ、それも私以外の誰かさんのせいだけどね。」などというふて腐れた気持ちを抱いた…
そんな顔。
多分目の前に自分がいて、この顔みたら、殴ってると思う。
妻も、子供も、こんな男と一緒の空間にいるの、嫌だろうなと正直思う。そんな状態。
不意に娘が撮った、ある瞬間の写真。これ二倍酷くした感じ。
どんな時に僕は豚になるのか。
例えば、妻の帰りが9時越えの日が月火と続いた水曜日。
妻が6時半に帰宅した瞬間。
6時半に帰ってくるのも、本当はとても大変なのだとわかっているのに、どうしても「6時に帰って来てくれていたら」と思ってしまう。
子供の食事開始は6時〜6時半のリズム。
夕方の食事を作る時間帯が鬼門・もっともしんどい時間帯で、
息子がキッチンで調理する僕の足にすがりついて泣き叫んだり、
テレビを見ていてくれてるかと思いきや姉弟ケンカが勃発していたりで、大抵悲惨なのだ。
だから、「何故あと30分早くならないのか。終業時間は4時45分なのに。」
と思ってしまう。
そしたらこんなに辛くないのに、という思いが、早く帰ってくる日でも、僕を目つきの悪い豚にする。
妻が「ただいま〜」と帰ってきても、食事をしている居間に入ってきても、僕は背を向けたままで、目を見ることができない。
不機嫌の色を隠せないからだ。
「・・・怒ってる?」妻は聞く。
「別に、怒ってはいないよ。」と僕は返す。
リピートアフターミー!
「怒って・は・いないよ。」
このセリフが含む主張は以下の二つ。
①「別に怒ってるわけじゃないし!仕事大変だってわかってるし!そんな常時怒っているようにみなさないでほしいし!!!」という主張。力点は「怒って」。
②「こちとら誰も見ていないところで必死で戦ってたんだし!メチャクチャ大変だったんだし!!!」という超遠回しの主張。力点は「は」。
・・・いや、もうほんと酷い。
こうして書くのが耐えられないレベル。
母親にオートで反抗する中学生みたいな態度。
これが、前回書いた涅色の感情に囚われている状態の僕ですよ。
家事・育児は心身を蝕むことがある。
最近思うのは、家事と子育てというのは、まさに泥まみれの日常だということ。
文字通り糞尿にまみれ、子供の出す感情の排泄物にまみれて生きている。
そんな中でも、家庭を預かる身として家も子供も自分も清潔に保ちたいと日々思っている。
けど、それが出来ずに結局は苛立ちを募らせていく。
やがては自分の感情もコントロールを失い、心の排泄物を怒声・罵声にして響きわたらせたり、抑えきれずに滲み出す泥のようなもので我が子や伴侶を侵食してしまう。
心の余裕がなく、夜寝る前に水を飲みまくる息子をみかねた妻の、「シュウマイを食べ過ぎたんじゃないかな?」なんていう言葉にすら、みっともないぐらい感情を苛立たせる。
「あれーーーーー、自分ってもっとクリーンで、心に余裕のある男だったはずだったんだけど・・・」と泣きたくなる。
before←→after
「こんなの自分じゃなああああああい!!!!」
「こんな俺を見るなあああああああ!!!!」
と、心の奥で矛盾した声を上げながら、キレる。
しかし、見られたくないなら、キレなければいいのに、キレている。
・・・・・・・なんでなんだろうと、ふと立ち止まって考えてみた。
豚と化した主夫の怒りの奥にある声。
多分、「見るな!」は裏返しの意味、「俺を見ろ!!」なんだと思う。
そこには、
「これだけ疲弊している俺を見ろ!」
「こんなになってしまうほど頑張っている俺を認めろ!」
という自分の頑張りを認めて欲しいという声がまずある。
そして同時に、
「よく俺を見ろ!本当の俺はこんな全自動不快感発生装置じゃない!わかってるよって言ってくれ!」という本当の自分は違うと言って欲しいという声もある。
でも、奥底にある、一番聴き取って欲しいものは、
「俺を見てくれ。性格の悪い豚、あるいは不快感発生装置になりさがった薄汚れた俺を。でも、こんな俺も俺なんだ。どうか受け容れて、愛してくれないか。」という、
そのまま自分を愛して欲しいという悲鳴にも似た哀願の声なんじゃないかと思うのです。
長くなったので、続きは次回に。
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生活が生み出す黒ずんだ感情と、「自由」のカード。
主夫の不機嫌な顔の底にある感情の色は何色か。
今日は子どもが寝る時間にも帰宅できなさそうだということなので、昼寝抑えめで疲れさせつつ、早めに夕飯を食べて寝かしつける。
8時過ぎに子どもが寝た。
二人の寝息が聞こえる。
「でも、この早さで寝室を出たら目を覚ますかも…」
あと3分。そう思って目を瞑ると、一瞬で9時になっていた。
階下に降りると、既に妻が帰ってきていた。
疲れた顔をしながら、映画を見ている。
8時には帰ってきていたらしい。
シンクの夕飯の洗い物がそのまま残っているのが視界に入る。
途端、奔流のように湧き出す感情があった。
そこにあるのは単色の怒りではなかった。
……………………
今日はお母さんが帰ってこないと知って、寂しさを抱える娘。
朝ご飯の進みも遅い。
息子の朝寝でベッドに連れて行く際には、いつも15分ぐらい娘を一人にする。
だけど今日は寂しいのか、駄々をこねて寝室に乱入してきた。
姉が来るとうまく朝寝できなくなる息子。
今日は母親サークルの体操クラブがある。
息子が朝寝できなかったら、体操クラブ中グズグズになる可能性が高い。
ここで叱りつければ、今度は娘がグズグズになる。
朝の出方を誤れば、しんどい一日になりうる。
しかし、ベッドの上でふざけ回る娘を前に感情が抑制できず、怒鳴りつける。
娘の寂しさを知りながら、幼さを知りながらも柔軟に気持ちをコントロールできない自分の未熟さに嫌悪感を抱く。
朝寝を諦め、泣く娘と息子をあやしながら出発の準備をする。
清掃できていない車内でアンパンマングミの残骸を見つけ、「これ買いたい」と言い出す娘を睨めつける。
毎回のように数分遅刻して現地到着する自分の時間管理能力に辟易しながら体育館に入る。
案の定体操クラブでは娘は活動する気になれずに、半ばヤケになりながら二人を抱っこして体操する。
ほとんどの子どもが楽しそうに先生の指示に従いながら楽しそうに体操をしている。
それを見ると、自分で予定を入れながらかえって我が首を絞め、子ども達
に嫌な体験をさせているような気さえしてくる。
息子のおむつをかえながら、娘をトイレに連れていきながら、洗い物をしながら、ご飯をつくりながら、必死で作ったご飯を残されながら、ぼとぼとこぼされながら、風呂にいれて歯磨きをしながら、明日から京都に出かける準備をしなければと思いながら、その前に散らかりきった玄関と車の中のゴミをなんとかしなければと思いながら、子供たちに布のおもちゃを作りたいと思いながら、出店に向けて草木染めしたいと思いながら、刺し子もしたいと思いながら、返せていないメッセージを返信しなければと思いながら、友達が欲しいと思いながら、ブログやフェイスブックの記事を書きたいと思いながら、妻とのスキンシップを取りたいと思いながら、育児書を読みたいと思いながら、なんでご飯をこぼすんだよと思いなら、残すなよと思いながら、あの床をふかなきゃと思いながら、シーツを洗濯しなきゃと思いながら、怒ってばっかでごめんよと思いながら、風呂のお湯をためているときに風呂場で遊ぶのが息子は大好きなのに気持ちに余裕がなくて遊んでやれなくてごめんよと思いながら、「今日、ピョンピョンクラブで、みーちゃん無視しちゃって(恐らく、言うことをきかなくてという意味)ごめんね。」と真っ暗な部屋の中で語る娘の言葉を聞きながら、
子供たちの就寝を迎えるまでを過ごした。
……………………
そうした生活を背負った名状しがたい渾然とした感情。
この一週間、妻にヘルプして6時前に帰ってきてもらうこともあった。朝のうちにご飯を作っておいてくれることもあった。
一週間の仕事の疲れがたまっていることも理解できた。
『気遣うべきだ、我慢すべきだ。』
抑制され、思うように怒りをぶつけられない不完全燃焼感。
混じり合ったその感情の色あいは、泥のような黒に近い、涅(くり)色をしているのだと思う。
そうして、不機嫌面をして、これ見よがしに音をたてながら洗い物をする。
そんなことをしても自分も妻もリラックスなどできないとわかっていながら。
でも、この涅色の感情がでてくると、どうにも抑えられない。そして、中々気持ちの切り替えができない。
でも、切り替えができずにこの状態を引っ張れば、悪循環だ。
そこで、妻が寝た後、ちょっとARUKAMOカードを引いてみた。
このカードはENMAカードを教えてくださったはしもとみわさんが作られたオリジナルのオラクルカードだ。
「自分にはない」と視野狭窄に陥っているときに「本当はあるんじゃない?もしあったとしたら?」と優しく視点を切り替えさせてくれる。
今日の一枚は、
「自由」
あーーーー、「自由」じゃないなーって思ってるなー。
子供と過ごすことで、興味の幅が広がったこともあるし、行動が制限されるだけにやりたい欲求が高まっていることもある。やりたいことがたくさんあるのに、思うようにできていない。だから苛々してしまう。
けど、「自由」あるとしたら?
・・・・あるのか?
いや、あるだろ笑
1歳と2歳の子供を抱えながら「ブログ」書いたり「草木染め」したり「出店」したり「カウンセリング」したり「裁縫」したり「畑で染色植物栽培」したり「山で檜の樹皮を採集」する余裕のあるやつが自由じゃないっていうんだよ!
お金を稼ぐため?楽しんでるだろどうみても。
大体、子供と過ごす主夫になったから、これだけ世界も広がっているんじゃないか?
まるで誰かのせいで自分が「自由」じゃないみたいな顔しているけど、
選んだの自分ですけど?
それを言ったら家族の大黒柱を背負わされた妻はもっと「自由」じゃないってことになるんじゃない?
別に彼女だって背負わされたわけでもない。
おかしいおかしい!おかしいぞ俺!認知歪んでるぞ!笑
と、カードを元に自分に笑いながら突っ込みを入れたら・・・
泥のような感情はすっぱり落ちていた。
生活が生み出す黒ずんだ感情を払い落とすためには
やっぱり、自分をいっぱいいっぱいの状況から引き剥がし、冷静に自分を見つめる時間と、そのきっかけが必要。
セルフメンテナンスツールとして、ENMAカードやこのARUKAMOカードは優れているなと感じるし、こうした「きっかけ」「メンテナンス」の場を提供していきたいな。
6月16日(土)と6月23日(土)はこちらの光都プラザでセッション&草木染め出店します。ぜひお越しください♪
また、オンラインの継続モニターを受けてくださっている方、4月5月と対応できていなくて申し訳ありません。今しばらくお待ちください。できる状態、頑張って構築します!
よし、今日は5時起きで眠いだろうけど、すっきりしたし、コーヒー飲んで頑張ろう!
山林。
妻の実家には何でもある。
神棚がある。
仏壇がある。
畑がある。
田んぼがある。
家のすぐ横に川がある。
お墓がある。
犬がいる。
猫もいる。
そして…
山があるッッ!!!
どの面積も決して広くはないが、何世代も通して大切に継がれてきたもの。
特に山を所有していることをお祖父ちゃんは誇りにしていたという。
少しずつ、手入れができるようになっていきたいなと思う。
主夫になって週末に実家に通うようになって、こうした僕の中に今までなかったものと近しく触れ合うようになった。
良かったな、と思うのは僕がまだ32歳だということ。
これらと親しみ折り合う時間は、まだまだ十分にある。
なにはともあれ・・・次の染めのターゲットは、
ヒノキ!君に決めた!!(何)
朝顔の意味
娘は水やりに対して意欲的である。
5月の初めに種を蒔いた。
「YちゃんやSちゃん、Nちゃんがお引越しの時にくれた種なんだよ。」
と話すと、とても嬉しそうであった。
蒔いた種はすぐに芽をだした。
結構な存在感のある芽で、
「芽が出てる!!」と娘は目を丸くして驚いていた。
息子は「あーーー!」といって、新芽の一つを摘み取った。
二人で激怒。
今ではかなり大きくなった。安心感のあるサイズだ。
この間郵便局に寄った時、誕生花カレンダーが置いてあった。
365日に割り当てられた植物と、その花言葉が載っている。
「偉大なる友情」
いつも僕の赤い電子辞書を携帯電話に見立てて
「あ、Yくん?おとーさん、Yくんだよー!」
と、鳥取の仲良しの友達のことを思い出している娘。
「会いたいーーーー!」
とよく口からこぼす妻。